一家団欒
ある時ふと気がついた。
嫁はタブレットでドラマに映画に見放題。
中3の長男は部屋に籠ってスマホにかじりついている。
中1の次男はオンラインのゲームに没頭して対戦中。
自分は部屋のパソコンで動画を視聴中。
同じ家にいながら全員が別々のことに夢中で接点がない。
しかも現実とは違うネットの世界。
これってどうなんだろう?
今の時代、一家団欒という言葉が死語になりつつある。
同じ空間にいて同じ時間を共有する、
そんな機会が激減している気がする。
ところが唯一顔を揃えて感動を分かち合う瞬間がある。
スポーツ観戦だ。
全員それほど詳しいわけでもないし興味が強いわけでもない。
でも世間が盛り上げればそれなりに波に乗って、
自然と試合開始時刻にはリビングに集まってくる。
ワールドカップもWBCも、不思議とみんなそこにいた。
試合の展開に感情を露にして一喜一憂し、
歓喜の瞬間も、敗北の無念も、全員がその場で同じ思いを分かち合った。
絶賛反抗期中の長男の普段見れない表情も垣間見ることができた。
これから先、人間関係において「共有する時間」が
一つのキーワードになってくるのかな、とふと思った。
別にテレビじゃなくていい。何だっていいのだ。
そこに集まり同じ空気を吸い、同じ思いをともにする。
当たり前だったことが当たり前じゃなくなってきたこの時代だからこそ、
こういう瞬間を積極的に作っていきたいと思った。
手のひらの中の閉ざされた世界には
やっぱり「リアリティ」は存在しないんじゃないだろうか。
K・K