教育的指導!
先輩の珍発言を今までのブログネタとしておりましたが、
何かしらのハラスメントに抵触する可能性がありましたので
今回は私のことについて書いてみます。
突然ですが、皆さんは親父にボッコボコにされたことはありますか?
私はあります。周りの同僚に
「親父に殴られたことある?」と聞くと「無い」
とほとんどの方がお答えになります。
それはいけない…世の中の昭和的親父像が薄れつつあることを懸念し
私のノンフィクション体験談を下記に記します。
1.げんこつ
何か悪いことをしたら叱る、というのは教育の基本だと思いますが
我が家では「げんこつ」という名のロケットパンチが飛んできていました。
痛みに対する耐性をつけさせ、企業戦士として立派になることを見越しての行為だと思います。
2.立たされる
反省をしろ、と言われた時皆さんはどのように表現しますか?
そうです。答えは「家族が食事する様子を見ながらじっと立って待つ」です。
親父が「食え」というまでは動いてはいけません。
世の中は我慢の連続、自分の思い通りにはいかないということを食卓を通じて
教えてくれていたのだと思います。
3.パパ禁止
「なぁにがパパじゃ、気持ちの悪い。ここは日本じゃ。ええ加減にせぇ」
とよく言われたものです。お父さん、または父さんと呼ぶことを義務付けられていました。
外国人に負けるな、日本人である誇りを持て。という大和魂を教えてくれていたんだと思います。
4.泣くの禁止
「男が泣いてええのは親が死んだ時だけじゃ」
そんな親父は自分の親が死んだ時も涙をこらえていました。ホントかっこいい。
対極的な私は初めての彼女と別れた時にビービー泣いていました。
「何泣きょーるんな。男らしくねぇ。次はもっとええ彼女作れるわ。泣くな。」ホントかっこいい。
かっこいい男像を教えてくれていたのかもしれません。
5.不在時カレー
そんな我が家にも平穏が訪れるときがあります。それは親父飲み会Dayです。
学校から帰ると母さんが「今日お父さん飲み会でおらんよ」と教えてくれます。
母さんはいつも料理を頑張ってくれているのですが、その日に限っては必ず
カレーを作ってくれていました。楽だから、だそうです。
わざと緊張と緩和の機会を作り、息抜きの大切さを教えてくれていたのだと思います。
まだまだ色々あるのですが、ちょっと書ききれないのでこれくらいにしておきます。
どうでしょう、令和の時代にこんな旧石器時代の親父はなかなかいないのではないでしょうか。
たくさん殴られた影響か、今では頭皮も父さんに似てきました。
今となってはいい思い出ですが、髪の毛だけは返してください。
父さん、これからも元気で長生きしてください。
K.N