私とバドミントン
私の趣味はご存知の方も多いと思いますが献血とバドミントンです。
中学校入学時に友人に誘われて何の気なしに入部したバドミントン部が始まりでした。
高校受験時に親の反対を押し切って、進学校には進まずバドミントンがやりたいと、水島工業高校に行きました。
高校1年生の時はとにかく地獄のような練習でした。
今では考えられないような事、
○練習中の水分補給禁止!(トイレに行くふりをして、隠れてトイレの手洗い場で真夏のあたたかい生水を飲んでましたが…)
○うさぎ跳びは当たり前
○昼休みのトレーニング(チャイムと同時に走って集合の為、お弁当は2時間目終了後に早弁でした)
○先輩には絶対服従
などなど、コートは先輩方が使うので1年生はずっとコートサイドでシャトルを打つことなくトレーニング(しごき)してました。
練習が終わり疲れ果てて帰宅後も、練習に使用するシャトルの修理を2時間ほどかかってやるのが1年生の仕事で、翌日の練習で
再生シャトルを先輩が使用して飛び方が悪いとお仕置きのトレーニングが待っていました。今思うと、その経験が今の配送センターでの
仕事、丁寧に行い満足してもらえる仕上がりで!に活かされているのではないかと思います。
高校3年生の夏、目標にしてきたインターハイの出場権をかけての岡山県高校総体で団体戦での出場は残念ながら逃してしまいましが
ダブルスでのインターハイの切符を手に入れる事ができ、水工バド部で過ごした3年間は自分にとって宝物になっています。
高校卒業後は、またまた親の反対を押し切り実業団のある会社に就職しました。
約3年半所属し、岡山で開催された全日本実業団にも団体戦で出場して全国ベスト8までなりましたが実はあまり覚えていません。
バドミントン界のキョンキョンと当時人気のあった『陣内貴美子さん』ばかり見ていたように思います。
それから、部活動としてのバドミントンの情熱も失って遊びまわる事にシフトチェンジしてしまい、前職も辞めバドミントンも約10年間
やめてしまいました。
ある日、高校のチームメイトからバドミントンに誘われて軽い気持ちで行った練習でしたが、頭の中のイメージと違い現役時代のような
プレーを全くすることができずに悔しい思いをしたのが復活のきっかけで、それからは気持ち的にも趣味としてのバドミントンができるようになり
今に至っています。
毎週土曜日の夜、地元の小学校で小中学生を対象にしたクラブチームのコーチを長年しています。
BIGクラブと違って、練習に週1~2回の子がほとんどで上位の子供が出てきませんでしたが、前年度は念願の教え子から岡山県小学生チャンピオンが
やっと出ました!もちろん親御さんをはじめ他のコーチの指導の賜物ですが、毎週土曜日の夜に飲みに行くのも我慢して、楽しくバドミントンを習いにくる
子供達の為に指導してきた甲斐がありました。
これからも、自分がやってきた経験を活かしてクラブの子供達には、今は勝敗ばかりではなく、上手にできなくても楽しくバドミントンを好きになり
将来、競技としてのバドミントンに進むも良し、趣味として続けるも良し。何歳になってもずっと続けていってもらえるようなバドミントンを教えて
いけたらと思っています。
6月に久しぶりに岡山県シニア混合ダブルスに出場しようと思っています。
今回からは50才以上の部になり、新しく組むペアで挑みます!
上位2ペアは全国でもトップレベルのペアですが、なんとか良い試合ができるように準備して頑張りたいと思います。
H.H
※写真は自分のメイン練習場所の清音小学校体育館
黄色が私・ペアは中学1年生(前小学生チャンピオン)
中学生になりクラブチームを卒業しましたが、私の練習している大人のチームに練習にくるようになりました。
小学生の時にはほとんどやらなかったダブルスを練習しています。大人のスピードでしっかりと練習して、中学生でも
さらにレベルアップして活躍してくれたら嬉しく思います。