三男part2
前回のブログで、約1年前、三男が広島の高校に入学し、夏の高校野球、日本選手権に野球部が出場し、
1回戦に勝利したところでまでを、紹介させて頂きました。
その後、優勝候補の秀学館、聖光学院、仙台育英、天理を破り、見事決勝へ駒を進め、花咲徳栄に敗れましたが、準優勝となりました。
中村選手が6本の本塁打を放ち、一気に全国区となりました。
一方、三男ですが、投手で入学しましが、7月ごろから、捕手にコンバートされ、甲子園の応援と捕手の練習に励んでいました。
夏の甲子園が終わり、新チームとなり、地区予選が始まり、いきなり背番号2番を貰ったのは驚きました。
地区予選は捕手で先発しましたが、捕るのが精一杯で、私の目から見て、リードも、捕手としての安定感もまったくありませんでした。
経験も少なく「まだまだ時間が掛かるな」と正直思いました。
地区予選を突破し、県大会へ、
今度は、外野兼投手に戻り、背番号14で秋季県大会へ臨みました。
1回戦はいきなり優勝候補の新庄との対戦となり、辛くも1点差で逃げ切りました。(出場なし、ブルペンで準備のみ)
2回戦はバッティングが好調との事で、3番レフトで抜擢され2塁打を1本放ち3打数1安打
3回戦も3番レフトで起用されましたがチャンスで打てず、3打数1安打
福山の○○信一君の母校盈進高校に1対0で破れ、春のセンバツへの夢は絶たれました。
盈進はその後、広島大会で優勝し、中国大会に進みましたが、中国大会で破れ、センバツヘは出場はできませんでした。
センバツ予選も終わり1年生大会へ、
先輩の推薦もあり、主将に抜擢され、外野手兼投手で出場、5番打者を任され地区大会を突破
正捕手の肩の故障もあり、再び捕手にコンバートされ県大会へ、
5番捕手を任され、決勝で宿敵新庄を破り、見事1年生大会優勝
厳しい冬練習をを終え、3月の春の練習試合解禁へ、
春のセンバツ前の練習試合で智弁和歌山と対戦し、見事勝利、1安打し、盗塁も2つ刺し、キャッチングも見違えるほど良くなっていました。
相当、冬の練習で、努力したんだろうなと感心しました。
その後の練習試合でも捕手として先発として使い続けていただき、これでレギュー取れたなと私自身思いましたが、
春季大会の地区予選の前に、肩が痛くなり、1ヶ月のノースロー、地区予選はベンチ入りから外れ、どうにか春季県大会ではベンチ入りはしました。
肩の調子は上がらず、県大会では1回戦、2回戦、共に途中から捕手として出場しましたが、二回戦で敗退となりました。
その後、夏の日本選手権に向けて、練習試合では使ってもらい、肩の調子は徐々に良くなってきていたのですが、
今度はレギュラー争い、肩への不安、色々な焦りから、バッティングまでおかしくなり、打つ方がさっぱり、なかなか状態が上がらず、
結局、レギュラー争いに敗れ、夏の県大会は、背番号12番で臨む事となりました。
1回戦、2回戦は途中から捕手で出場しましたが、それ以上は出場なし、
またまた、宿敵新庄と決勝戦を戦い、延長戦を制して、2年連続、甲子園出場を果たしました。
背番号は12番で出場し、甲子園では、二松学舎と対戦し、惜しくも1回戦敗退。(出場なし)
そして、新チーム、ラスト1年となりました。
バッティングでかなり悩んでいました。時々電話が掛かってきていましたが、親父も兄弟も高校野球をやってて、我が家は野球一家、
アドバイスも激励も自然ときつくなり、ストレスも相当溜まったみたいです。(あまり電話も掛けてこなくなりました)
ストレスから、腹とか、目とか、色々異常が出で大変みたいでしたが、ここは、「自分で壁を乗り越えてもらわなければ」、と強く感じています。
打てば、出れる位置にいます。公衆電話だけで、携帯も持つことは禁止、なかなかアドバイスも出来ない環境ですが、親としては見守るしかありません。
新チームでは、投手の故障もあり、またまた、捕手兼投手兼外野もやっているとの事。投げ方が違うので故障が心配ではありますが、やるしかありません。
センバツ地区予選を突破し、秋季県大会出場、背番号は12番、1回戦は捕手として先発し、リリーフもこなし、二回戦はベンチスタート、
明日準々決勝、明後日準決勝、勝てば中国大会出場、負ければ、13日3位決定戦へ
明日、出れるかどうか分かりませんが、持ち場で全力を尽くしてほしい、私はゴルフでベストスコアを目指します。
ベストを尽くせば必ず道は開ける。頑張れ三男!
K.A