ジュリアン
今から20年以上前、僕は大学の卒業旅行で
ロンドンを一人旅した。
「ノリ」と「勢い」だけのハッタリ英語で
10日間の旅を無事に終え、ヒースローから関空に
戻る飛行機に乗った時のこと。
二人掛けの席の隣りに一人のヨーロッパ人女性が座った。
欧米人にしては比較的小柄で、日本の男子としては
なんとなく親近感を感じた。
ブロンドの髪が印象的なかわいらしい女の子。
見た感じ同世代だろう。
何かを言いたげな様子がうかがえる。
僕は僕でソワソワ落ち着かない。
お互いを意識しているのは明らかだった。
離陸後程なくして、僕は思い切って話しかけてみた。
「キミ、名前は?」
「あたしジュリアン!よろしくね!あなたは?」
この時を待っていたかのように屈託のない笑顔で
答える彼女。緊張が解けたのか、二人の間の距離が
一気に縮まったような気がした。
彼女はルーマニア生まれであること。
歌を歌うために日本に行くこと。
幼い頃家族が離れ離れになり辛い思いをしたこと。
独裁政権が崩壊して何年も経つが、
国内はまだまだ不安定で混乱が続いていること。
憧れの日本に行けるのが楽しみで仕方がないこと。
お互い拙い英語でいろんな話をした。
一人だと苦痛でしょうがない空の旅が
彼女のおかげで一気に夢のようなフライトになった。
でも関空が近づくにつれ、
僕は少しずつ彼女の身の上が心配になってきた。
日本に歌を歌いに行く?
ルーマニアの女性歌手が歌える場所なんて
日本のどこにあるんだよ?
それって本当の話なのか?
そもそもなんで一人なんだよ?
根拠もないのによからぬ方向ばかりに考えが及び、
彼女を守らなければと勝手に使命感に駆られた僕は
着陸の直前に一枚の紙切れを手渡した。
自宅の電話番号だ。
「何か困ったことがあればすぐに電話してくれ!」
パソコンも携帯もまだ普及していない時代。
それしか手段を思いつかなかった。
受け取った彼女の瞳はわずかに潤んでいた。
「ありがとう。あなたのことは絶対に忘れないから」
行き先が違う僕らは関空でお別れだった。
僕は彼女の出発を改札で見送った。
何度も何度も笑顔で振り返る「ジュリアン」。
僕は彼女の姿が見えなくなるまでずっと手を振り続け、
一人になった後もしばらく改札を見つめていた。
結局電話が鳴ったことは一度もなかった。
その後彼女がどこへ行きどうなったのかは知る由もない。
ただ確かなのは、僕は今でも彼女と過ごした
わずかな時間を決して忘れることはない、ということだ。
※全て事実です。脚色は一切ありません。
K・K