守・破・離
守破離という言葉。
何度か聞いたことがありますが、最近また耳にする機会がありました。
これは剣道や茶道などで、修業における段階を示したものです。
「守」・・・師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。
「破」・・・他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。
「離」・・・一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。
この言葉を聞くと、ピカソが思い浮かぶ私です。
子供の頃ピカソの絵を見て(本物を見たのではなく、本かテレビか・・・)正直上手とは思えませんでしたし、何故有名なのか不思議でした。
大人になって展覧会でピカソの絵を見たとき、いかにもな“ピカソの絵”を描く前の段階のデッサンを見て、上手に描けるんだ・・・とショックを受けました。
きっと基礎をしっかり学んで、技を磨き、独自の新しいものを生み出したんでしょうね。
ふわふわした抽象的な絵のシャガールや線で区切っただけのように見える絵のピエト・モンドリアンも
守破離のステップを踏んで私たちの見たことのある絵にたどり着いたのでしょう。
話はピカソに戻りますが、
少し前に徳島県にある大塚美術館に行く機会があり、そこで「ゲルニカ」という絵のレプリカを見ました。
これは怒りと悲しみに満ちた絵です。
とても大きな絵ですが、それを1ヶ月で仕上げたと聞きその怒りと悲しみの強さに心を打たれました。
解き放たれた“離”の力強さは芸術の世界だけでなく、すべての道に通じているような気がしました。
m.g