キミキミ、男の人生というものはだね、
『男の人生というものは、毎日確実に死に向かって歩むことだ。なればこそ今日という一日が大切。今日が最期の覚悟で、日々の酒を飲み、飯を食え。』
(『池波正太郎の食まんだら』(新潮文庫)より)
唐突ではありますが昨今池波先生のこの言葉をよく思い出します。
もちろん今は斬るか斬られるかの時代とは違うので、昔に比べれば生死が裏表であることを意識する機会も少ないでしょうが、しかしながら個人的にこの暑くなる季節は友人・身内の命日が続こともあり、ふとした瞬間に普段忘れがちな生きる上でのありがたさや使命について考えることが増えます。
(つい先程世話になった故人を追悼する企画文集への寄稿を一節書き上げたばかりなので尚のことそういう気分なのですが。)
先述の池波先生の某代表作に出て来る武官としての火付盗賊改方の面々も、作中での殉職者の多さから察するにまさに命懸けでそれぞれのお役目に就いていたのだろうなと思ったり。
脚色はもちろん多分にあるでしょうが、いつの時代にも明日をも知れぬ覚悟で職務に当たっている人がいるのだということを冒頭の言葉を思い返しつつ、我が身を正さんと背筋を伸ばすのであります。
キリリ。
さてここまでで2回出て来た「覚悟」という言葉。
これは日常なかなか出てくる言葉ではありませんし、むしろ私は容易く口に出してはいけない言葉だと思っています。
飽くまで自分の中で静かに固めるものであり、そしてそれは目付き顔付きや背中を通して人に伝わるものかと。
伝えるべく装うのではないものゆえ、向き合えば自ずと伝わるのが男の覚悟。
"勝負しない自称理論派"または"ジャンケン最弱霊長類"等の不名誉な二つ名を持つ私ではございますが、いつか弊社の長官(おかしら)の言っておられた『今ここ我』のこころで、命を輝かせるべく今という瞬間を燃やし尽くすべく生きることが、即ち向こう1ヶ月のうちにその墓前を訪れることになる故人達を安心させることになるのかなと。(布袋某氏も昔そんな歌唄ってました。)
そのように静かに思っております。(今もうPC前で完全に鬼平顔。)
ひとまず今夜も最期の覚悟で酒を飲むこととします。願わくば明日も明後日も。
池波先生すみません。
てへぺろでござる。
* 本日の一曲 / "君は人のために死ねるか" (杉良太郎)
ソエジマ