義母
実の母は かあさん
義母は おかあさん と 呼んでいた
先日 49日 納骨が終わった
昭和3年 生まれの 満92歳 だった
おかあさんは いわゆる お嬢さん 育ちだった
お父さんが 県会議長だったり 地元の名士の 娘だった
ところが 結婚ののち 旦那さんが 当時僕のワイフ 6歳の時 交通事故で 突然 亡くなった
その後 ワイフの弟と 二人の幼子を 抱えての 厳しい 人生を 歩むことに なった
親戚の方々からの 援助を かたくなに 断りながら 気丈に 二人を 立派に 育て上げた
厳しい人であった
故あり 結婚式 3日前に 「結婚はさせない」 とワイフが言われ
大阪にいた僕に 泣きながらワイフが 電話をしてきて 夜 慌てて 車を すっ飛ばして
帰倉 した
なんとか おさめて 無事 結婚式は できた
なんせ 3日前ですよ
今となっては いい思い出 です
もとから 僕に対する 評価は 低く 中学校のときから おかあさんが 岡山で働いている最中に
ワイフの 家に上がり込み それを 近所の人が チクる ってな感じで
それに加えて 中学 高校 の時の 僕の風評 が 加味され もともと 反対だったんだと 思う
かわいい娘の 言うことだから ということで 我慢してたんだろうと 思うが
結婚式が 近づくにつれ 思いが 爆発 したんだと
今思うに おかあさんを 苦しめた 僕が すべて 悪い ごめんね
大阪で 新婚生活が始まり 3年ぐらいたった時 おかあさんが 家に来た
曰く 「あなたたち バースコントロール してるの? そんなものするものじゃあないよ
早く 産んだら」 っていうものだから 「任せてください すぐ妊娠させますから」
「そんな簡単なものじゃない だから 言ってるの」
ななななんと その数か月あと 見事 身ごもり
そこらあたりから おかあさんの 評価が 上がり始めたのであった
いわゆる 芸はみをたすく ???
おかあさんは 僕のことを まあちゃん と 呼んでいました
晩年 緩い認知症になり 僕のことを 伊澤君 と 呼び出し あの悪い伊澤君を
思い出したかと 焦った
また 日本画をたしなみ 県展にも 何度か 入選したり
和歌 俳句も 詠んでいた
僕も 和歌を 自己流で 詠んでいて アドバイスを もらったら
「もっともっと たくさん詠まなきゃ ダメ」 と言われた
会社も それなりに 発展し いつも「まあちゃん よく頑張ってるね」
また 僕のラジオ番組を いつも 聞いてくれ 終わるとすぐに よかったよ と メールを
くれたりした
晩年の 口癖は 「伊澤君に もらってもらってよかった」 嬉しいと おもいきや
そのあと「娘が 近くに 嫁に行って よかった」
? 伊澤君 近く
まあ どちらでもいい おかあさんが 喜んで いたのだから
今頃 お墓の中で 63年前に 亡くなった 旦那さんと
いろいろあった 年月を 報告しながら 仲睦まじく 過ごしていると 思う
ただ ただ おかあさん ありがとう! よく頑張ったね と
毎晩 寝る前に 拝んでいる
ああ 人生かな!
george